エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.02H25.7掲載日

秋田大学大学院医学系研究科
腎泌尿器科学講座 准教授

井上 高光
先生

「やる」か「やらない」かの選択があったとき、
「やる」選択を取る生き方が、
人生を楽しむために非常に重要であると、
留学生活を通して強く感じました。

井上 高光 先生

詳しい経歴はこちら

先生は留学の経験がありますが、どのような経緯で留学されましたか?
また、どちらへ行かれましたか?

私の所属する秋田大学泌尿器科では、教授の羽渕先生が意欲のある若い教室員には海外留学や国内留学を勧めて下さるので、ご厚意に甘えた形です。私の同僚たちも、有名なMayo ClinicやTexasにあるMD Anderson Cancer Center、同じCanadaのVancouver General HospitalやAustraliaのSydney、NetherlandのAmsterdam近郊など、多種多様な場所に自分で手紙を書いて2年間ずつ留学しています。 私は2008年6月より、2010年6月まで、Canada、Quebec州のMontrealにある、McGill大学の教育関連病院であるJewish General Hospital付属のLady Davis Instituteという研究所で2年間研究留学をしました。私は泌尿器科医ですが、乳癌や前立腺癌を専門とする腫瘍内科のボスのラボで、ホルモン療法不応性前立腺癌とインスリンやIGF-1(インスリン様成長因子)との関係を探る研究をしました。

回答はこちら

留学しようと思われたきっかけはありますか?

私が研究留学したいと考えた大きな理由は、大きく4つ挙げられます。 第1に、海外に出てもっと大きな視野を得て、日本を外側から眺めたかったこと。第2に、英語が上手になり、世界の人ともっと自由に話が出来るようになりたかったこと。第3に、子供たちを連れて行き、外国はそう遠くないことを実感させたかったこと。第4に、自分に科学者の才能がいかばかりあるのか、試してみたかったことが挙げられます。 また、海外に出たいと思っていたのは、父の影響もあります。父はプラント機械設計の技術者で、海外から受注して自分で機械を設計し、海外で機械がうまく動かない苦労を私によく語っていました。その時の口癖は、「日本ほど暮らしやすい良い国はないぞ」というものでした。子供心に、いつか自分も海外に出て生活し、日本と海外を比較してみたいと思ったものでした。 あまり大きな声では言えませんが、留学前の研究に対するモチベーションは、研究の結果が出れば楽しいのですが、結果が出るまでの過程が苦しくて、あまり高くはありませんでした。医師は研究で食べていかなくてはならない訳ではなくて、臨床で食べていけるのですから、研究は趣味なのです。趣味が楽しくなるためには、まずはストレスなく論文が読めて、ストレスなく海外の人と話が出来るようになり、研究への垣根を下げ、更にご褒美である海外学会参加が楽しくなるように自分を改造することだ、と考えました。

回答はこちら

留学先のMontrealはどのようなところですか?

Montreal はCanada第2の都市で、Saint-Laurent川の中洲にあり土地制限があるためか、ビルが密集し公共交通機関が発達し車なしで便利に暮らせます。 冬の寒さが厳しく銃も規制されているためか治安も良く、日本の都会と変わらない感覚です。フランス系の人々の合言葉「人生楽しもう」がぴったりくる、夏はJazzやClassic、映画にF1とさまざまなお祭りで賑わう、エンターテイメント都市です。 Quebec州は85%の人がフランス語が母語で、公用語はフランス語のみです。渡航前に教授に「フランス語できませんですが、大丈夫でしょうか?」とご相談したら、「どうせ英語もできんのだから同じやろ」と、さすが先生上手いことをおっしゃる、と妙に納得して楽観的に行ったのですが、住宅の準備、各種社会保障の手続きなど、最初は本当に苦労しました。Montrealはフランス人が最初に作った街ですが、人種差別は非常にゆるく、世界中の人々の文化を、そのままの形で社会の部分として受け入れて、守っていく姿勢には感心させられます。皆口をそろえて、Canadaは良い国だ、合衆国とは違う、と誇りにしているようです。

回答はこちら

留学中に英語はどのように身に着けられましたか?

幸運なことに、ラボに楽しい英語の友人が数人でき、”Osoco business club”という名前を付けて、学生時代のように楽しく過ごしました。彼等がいてくれた事で、私の留学生活は本当に豊かになりました。 彼らの年齢は皆、私よりも若いのですが、人間関係に年齢はほとんど関係ありませんでした。私の言葉が拙く、いつも質問ばかりして文化や言葉を教えてもらっているので、私の感覚では私の方が年下でした。毎日必ずコーヒータイムとランチを一緒にするのを日課にし、彼等との大切な時間が、私の語学学校になっていました。YMCAの英会話も試したのですが、彼等との会話で十分鍛えられることがわかり、すぐに辞めました。英語でのジョークや早口の状況説明には、留学期間の終盤でもまだ付いてゆけず、話し出すタイミングも下手なままでしたが、彼等は理解を示してゆっくり話してくれたり、話し終わるまで待ってくれたり、本当にありがたかったです。 個人での英語勉強は、少女趣味ですがCanada文学で有名な「赤毛のアン」の日本語アニメを見てストーリーを覚え、原書とオーディオブックを本がボロボロになるまでとにかく聴いて声に出して読んで辞書を引き、原文を覚えてしまうまで繰り返しました。おかげで旅行したPrince-Edward Islandは大変楽しめました。

回答はこちら

研究生活はいかがでしたか?

研究生活は予想通り最初はとても苦しく、先の見えない暗夜行路を手探りで進んでは行く手を阻まれることの繰り返しで、一時は不安で3日間眠れなかったこともありました。 私の選んだラボは、実験助手の手技などが確立していて、「仮説さえ間違っていなければ自動的に結果が出て論文が書ける」というラボではありませんでした。そのため、実際に自分で仮説を考え、技術を持つ人を探して手技を学び、試行錯誤してモデルを作成し、モデルに介入して差を出す、ということの繰り返しでした。 しかし留学期間も終盤になると、語学もやや出来るようになり、前述のような親しい人間関係も出来てきて、一連の過程が非常に楽になりました。日本の諺「石の上にも3年」はまさに言い得て妙で、私も3年居たいと願ったものでしたが、教室員に迷惑をかけてしまうことや臨床を忘れてしまう恐怖もありやはり2年で帰国しました。お陰様で2つのテーマを曲がりなりにも形に出来ました。

回答はこちら

留学を振り返ってどう感じていらっしゃいますか?

英語能力は帰国直後をピークに下降線ですが、当初の私の目標であった、「日本と外国(Canada)を比較する」という作業は、まだ完結することなく私の中で続いています。今でも“ああ、そういうことだったのか”という「気づき」はまだ日常にいくらでもあります。 私は団塊世代の父のように日本を手放しで礼賛することはまだ出来ませんが、海外がぐっっと身近になり、また日本の美しさも実感し、それぞれの好きなところ嫌いなところをはっきりイメージできる様になったのは非常な財産だと思っています。連れていった子供達が海外生活をどう感じたかは、まだまだ未知数ですね、、、科学者としての才能があるか否かも、結局判らずじまいですが、あらゆることを諦めることなく、粘り強く継続することが非常に大切であると、現在は感じています。 また、「やる」か「やらない」かの選択があったとき、「やる」選択を取る生き方が、人生を楽しむために非常に重要であると、留学生活を通して強く感じました。 皆さんも是非Get the chance!

回答はこちら

至福の時はいつですか?

バイオリンを弾いている時が一番至福の時でしょうか。 写真は数年前、旧2-2病棟でクリスマスプレゼントを配った時のものです。 仲間と白熱の演奏が出来た時の達成感はひとしおです。

回答はこちら

履歴書

出生地:千葉県出身 千葉県立千葉高校卒

1999年
秋田大学医学部卒
秋田大学医学部附属病院泌尿器科 医員(研修医)
2000年
岩手県立胆沢病院
茨城県厚生連水戸協同病院
2001年
秋田大学大学院医学研究科入学
2002年
秋田県厚生連平鹿総合病院
2004年
秋田大学医学部附属病院泌尿器科 助手(泌尿器科専門医、医学博士取得)
2005年
京都大学医学部附属病院泌尿器科 医員(透析専門医取得)
2006年
秋田大学医学部附属病院泌尿器科 助教
2008年
(泌尿器科腹腔鏡技術認定医、腎移植認定医、泌尿器科指導医取得)
Postdoctoral fellow, Jewish General Hospital/McGill University Department of Oncology, Montreal, Canada
2011年
秋田大学医学部附属病院血液浄化療法部 講師(癌治療認定医取得)

Facebookページ