エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.03H25.8掲載日

秋田大学医学部附属病院
中央手術部 准教授

堀口 剛
先生

麻酔科は活動範囲を広げようと思えば
いくらでも広がります。
そして適性に合った部門で
どんな人でも才能が発揮できる科なのです。
ぜひ若い力を!

堀口 剛 先生

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どのような経緯で診療科を決められましたか?

私は卒業間近まで進路を決めておらず、「まあ食っていければいいや」と思っていました。卒業間近に、たまたま食堂で麻酔科の先生が食事をしているのを見つけ、ちょっと話を聞いてみようと思い近づいて行きました。すると「麻酔科は、昼間は忙しいけれど5時には帰れるし、日曜日は休みだし、平日でも自分の趣味ができるよ。注射はどの科よりも上手になれる」と言われました。その言葉になぜか動かされて麻酔科に入局しました。何とも使命感も責任感も無い選択でした。

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研修医1年目はどのように過ごされましたか?

5時に帰れる、日曜日は休みというのは真っ赤な嘘でした。まず、一日中立っているのが苦痛でした。朝の麻酔導入の時は指導医が来てくれますが、麻酔導入が終わると一人で全くの手探りの麻酔管理でした。何がなんだかわからず、いつもドキドキしていました。学生時代徐脈ぎみだったのが、頻脈になっていました。 また、当時は朝野球というものがありました。朝6時集合で、野球の試合をしてから診療するのですが、体力のない私には苦痛でした。年中行事の雑務もすべて1年目の仕事でした。先輩達はそれなりにやさしく接してくれましたが、私にとっては、ただひたすら耐えた1年という感じでした。

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厳しい1年目を耐え、2年目は何か変化がありましたか?

2年目に入り、小児の麻酔、開胸の麻酔等、症例も広がっていき、うまく管理できるとそれなりに充実感を感じました。しかし、大学での私は医師とは名ばかりで最下層の存在であり、給料も大学時代の仕送りと大差ありませんでした。 この頃には、先輩と一緒に他院に出張(バイト)に行くようになりました。一般病院の看護師は未熟な私を医師として接してくれ、とてもありがたく思いました。しかし、これが医師としての成長に良いのか悪いのか未だに不明です。

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研修医を経て、医員になられてからはどのように過ごされましたか?

3年目になると、心臓血管外科の麻酔を中心に研修しました。私の学年は入局者が私だけだったこともあり、この年の心臓血管麻酔のほとんどを私がしました。麻酔導入の時は指導医が来てくれます。ただし、それも1カ月くらいで、それ以降はすべて一人でした。 4年目も心臓血管麻酔、新生児の麻酔、開胸の麻酔等、常に困難を伴う麻酔を担当しました。一方、救急患者、集中治療部の患者の主治医もやりました。麻酔業務が終わり心身ともに疲労した時間外からICUの患者を診るのはつらいものがありました。しかし、当時は何でもやらせてもらえました。フォーレが入らなければ尿道ブジーをやれと言われ、ICU患者の髄液圧を測れ、眼底を見ろ、静脈切開しろ、直腸診をやれと何でもありでした。そして、やらせてもらえることが喜びでした。

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指導医試験について教えて下さい

麻酔科は4年目に麻酔指導医の筆記試験を受けます。筆記試験のため、夏休みのほとんどつぶして試験勉強しました。6年目には実技試験と口頭試問があります。実技試験は他の大学の教授が、実際に麻酔を行っている所を見に来るものです。私の担当患者は手術室に来る直前に主治医が中心静脈カテーテルを入れ、その際気胸を作ってしまった患者でした。緊張性気胸にならないよう慎重に麻酔導入した後、「胸腔ドレーンを入れろ」と教授に言われ、初めて自分で胸腔ドレーンを入れたのが指導医試験の時だったのです。

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学位を取得された頃の思い出はありますか?

私はこの時まで臨床一辺倒で、まともな論文を一遍も書いたことがありませんでした。先輩の指導でヤギを用いた実験を行うことになりました。このため大森山動物園に電話して、いらなくなったヤギをもらってきたり、農家から子ヤギを買ってきて自分の家で飼ったりしました。この研究がアメリカ麻酔学会の雑誌や、アメリカ生理学会の雑誌に掲載されとてもうれしかったことを覚えています。この頃やっと麻酔科医としての誇りや自信をもてるようになってきました。

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一人科長時代はいかがでしたか?

秋田組合総合病院に一人科長として赴任しました。それまでは常勤麻酔科医はいませんでした。ある先輩に、これからが男として生きるのだと言われました。当時の秋田組合総合病院では、術中患者の状態が悪くなると循環器の医師が来る、帝王切開で胎児仮死の場合には小児科医が来るのが習慣でした。しかし、私が赴任してから、外科医は循環器の医師を呼ばず、産婦人科医も小児科医を呼ばず私に任せてくれました。こんなうれしいことはありませんでした。 また、循環器の診療部長に「循環器に来ないか」と誘われたことがありましたが、私は「麻酔に命をかけているので」と答えて断ったこともありました。この頃は毎日楽しく充実していました。しかし、このままで自分の進歩があるのだろうかと疑問に思うようになってきたのです。そして大学に戻ることにしました。送別会では、手術室看護師の多くが「先生行かないで」と泣いていました。まさに男の花道でした。

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最後に先生の夢を教えてください

私の夢は強い麻酔科をつくることです。術者が安心して手術に専念できるような手術環境を提供する麻酔管理を行うことは必須です。術者、看護師、臨床工学技師、薬剤師等を統率するリーダーシップも発揮すべきです。術者への提言ができるよう幅広い知識を持ち、集中治療、救急医療にも率先して参画する。ペインクリニック、緩和医療、終末期医療にも人材を投入する。このように麻酔科は活動範囲を広げようと思えばいくらでも広がります。そして適性に合った部門でどんな人でも才能が発揮できる科なのです。ぜひ若い力を!

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履歴書
1984年5月
秋田大学医学部附属病院 医員(研修医)
1986年5月
秋田大学医学部附属病院 医員
1987年4月
市立秋田総合病院麻酔科 医員
1987年8月
秋田大学医学部附属病院 医員
1989年5月
秋田大学医学部附属病院麻酔科 助手
1992年5月
秋田組合総合病院麻酔科 医長
1994年4月
秋田組合総合病院麻酔科 科長
1994年10月
秋田大学医学部附属病院麻酔科 助手
1995年4月
秋田大学医学部麻酔学講座 助手
1997年6月
秋田大学医学部附属病院麻酔科 講師
1999年6月
秋田大学医学部附属病院中央手術部 副部長
2002年6月
秋田大学医学部附属病院中央手術部 准教授
2011年4月
秋田大学医学部附属病院臨床工学センター 副センター長
2011年12月
秋田大学医学部附属病院中央手術部 病院教授
現在に至る

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