エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.05H25.9掲載日

秋田大学医学部附属病院
呼吸器外科・食道外科・
乳腺・内分泌外科 講師

今井 一博
先生

「人生は経験だ!」
結婚も、子育てもすべてが
医師としての成長につながります。

今井 一博 先生

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外科を志したきっかけは?

単純に「外科医がかっこいい!」と思ったからです。学生時代は部活動に明け暮れ、正直申し上げますと、学業に関してはあまり優秀な学生ではなかったように思います。
しかし、医学部5年生になって、病棟実習で外科を回った時、自分の中で何かが変わったような気がします。患者が急変してもまったく慌てず、さらりと看護師に的確な指示を出し、そして救命へと導く。手術になれば、大胆かつ繊細に、危険な剥離・縫合を難なくやってのける。自分も「この手で直接、患者を治したい!」と強く思いました。
私が専門とする胸部外科手術は、危険と隣り合わせで、手術中いつ大出血が起こってもおかしくありません。この緊張感は、手足が震えるほどです。しかし、この恐怖を乗り越え、無事手術が成功した時、患者家族が涙を流して喜び、そして感謝される先輩の姿を見て「外科に人生を捧げよう」と心に決めました。

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研修医時代の生活を教えてください

私が研修していた頃は、今のような初期研修医制度がなく、最初から主に外科のみ3年間研修しました。秋田大学医学部附属病院でスタートし、第2外科(胸部外科)→第1外科(腹部外科)→小児外科→心臓血管外科→消化器内科を、そして2年目からは秋田組合総合病院と、外科で忙しい毎日を過ごしました。また、先輩医師のすすめもあり、そのうち2ヶ月間は麻酔科で全身管理を勉強させていただきました。
秋田組合総合病院では、毎日2件以上手術があり、まさに“手術が仕事”で、手術場で朝から晩まで過ごしました。その当時の兄弟子や外科部長からは、患者に接する態度や説明の仕方、周術期管理からもちろん手術術式も含め、外科学すべての基礎を学びました。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、初期研修3年間が今の私の医師としての姿を形作っています。とても良かったことは、当時は珍しく“術後”カンファランスがあったことです。朝8時から外科一同が集まり、自分が行った手術の手術記録を見せながら、先輩医師にプレゼンテーションします。間違っていればその場で注意され、訂正。この術後の反省が手術上達のもっとも良い先生となりました。

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当番、当直は大変ですか?

当番は大変でした。大変だったことはよく覚えているもので、毎日の病棟当番に加え、3日に1回の救急当番だったため、今でもポケットベルや救急車のサイレンの空耳が聞こえます。
忘れもしない症例を紹介します。自分が救急当直していた時、小学生の子供が救急搬送されてきました。痙攣が長時間に及び、インフルエンザ脳症も疑われる患者です。すぐに気道を確保し、アンビューバックで呼吸補助しましたが、痙攣が治まらず、気管挿管が必要な状況です。しかし研修医2年目の若造は、子どもの挿管の経験がありません。すぐに看護師がベテラン救命医をコールします。今思えば、わずか5~10分程度の時間だったと思います。しかし、私には1時間にも2時間にも感じました。救命医が到着するまでの間、必死にアンビューバックで呼吸を維持しました(看護師いわく、私は顔面真っ青。必死の形相だったそうです)。救命医が到着。遅れて小児科医が到着し、気管挿管(自分がやりました)。痙攣が治まり、呼吸が安定した時、大汗をかきながら全力疾走で駆けつけてくれた先輩救命科医師の「よく頑張った」の一言で、その場に座り込んでしまいました。先輩のありがたみを心から感じました。
病院当直は大変で、いつでも疲労困憊。今でも怖いと思いますが、私たちは一人ではありません。先輩後輩、医師看護師、そして外科内科、各科が助け合いながら、より良い医療を提供しているのです。私も、いつか後輩に頼られる先輩になりたいものです。

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国際学会参加のすすめ

2013年6月27日 ヨセミテ国立公園にて

「外科医の仕事は手術、患者をこの手で治すこと」 それは確かに間違っていません。しかし、医師として使命はそれだけではありません。研究は、例えその結果が小さなものでも未来の何億人の人々を救うことになるかもしれないものです。
私は2009年、学位を取得しました。当初はまったく考えていませんでしたが、現第2外科教授・南谷佳弘先生のアドバイスもあり、秋田大学大学院に入学しました。「外科医に研究は必要なのか?手術がうまくなることが大事なのでは?」と自問自答していましたが、今では大学院入学し、研究して良かったとしみじみ思います。
現在、医療知識は爆発的に増加しています。「医学生時代の勉強・知識の70%が10年後にまったく役に立たなくなってしまう」とまで言われています。もう秋田県だけ、日本だけという時代ではなく、グローバルに研究が進んでいます。私は自分たちの研究結果を発表するため、また世界標準の高度な医療知識を学ぶため、積極的に国際学会に参加、発表しています。もちろん見聞を広げるため、そして息抜きに観光も少しだけ…留学もいつかできたら良いなあ。
兄弟子の地域がん包括医療学講座特任教授・本山悟先生も言っています。「俺たちはacademic surgeonだ!」文武両道が大事です。

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お仕事が忙しいため、子供の運動会に参加できないというのは本当ですか?

自分の医師としてのキャリアアップのため、結婚・子育てをあきらめなければならないのか?子育てのために、仕事を辞めなければならないのか?どちらも不正解です。
私の妻は麻酔科医です。大学の同期で、研修も同じ秋田大学医学部附属病院です。研修2年目で結婚、子供が生まれたので、キャリアのほとんどが子育てと共にありました。疲れて自宅に帰ると、毎日の夜泣き(まさに毎日当直です)。また子どもが発熱し、風邪を引けば仕事を休まなければなりません。当時は理解されず「子どもが風邪を引いただけで、なぜ1週間も休むのか?」と厳しい言葉をかけられたこともあります。
しかし、2013年3月から秋田大学医学部附属病院には病児病後児保育施設「ことりのおへや」が設置されました。病児病後児保育がある大学病院は、まさに働く夫婦が仕事をしやすい、数少ない病院だと思います。そして今では県内の病院のほとんどが「院内保育」を実践しており、医師・看護師・スタッフが子育てしながら働ける環境を作っています。
赴任したある病院では、自分の呼吸器外科外来ブースのベッドを借りて、外来担当の看護師みなさんで、調子が悪かった長女を見てくれたこともあります。わが第2外科医局秘書の2人(2人ともお母さん)は、子どもたちが遊びに来ても快く迎えてくれます。秋田県内の病院全体で、女性医師が勤務を継続するための環境の整備、制度の充実、施策の実践など、さまざまな視点から女性医師支援が始まっています。
私は、家庭の行事・運動会も卒業式もすべて参加しています。これも先輩医師たちの協力や理解、後輩たちの頑張りによるおかげです。疲弊、疲労ばかりしても良い仕事はできません。良い意味で余裕がある勤務、つまり“マンパワーの充実”が成功の秘訣だろうと思います。このページを読んだ後輩諸君が、秋田県に残り、さらに働きやすい環境を作ってくれることを切に願っています。ともに働こう!

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履歴書

出生地:秋田県横手市

2001年 5月
秋田大学医学部付属病院 外科研修医
2002年 4月
秋田組合総合病院 外科医員
2004年 4月
秋田大学医学部付属病院 呼吸器外科分野医員
2006年 4月
能代山本医師会病院 呼吸器外科医長
2007年 5月
北秋中央病院 外科医員
2007年 8月
秋田大学医学部附属病院 腫瘍情報センター助教
2007年12月
日本外科学会専門医
2009年 3月
秋田大学大学院医学研究科 卒業(医学博士)
2009年 3月
八戸市立市民病院 呼吸器外科医長
2009年 4月
呼吸器外科専門医
2009年 4月
肺がんCT検診認定機構 肺がんCT検診認定医師
2010年 4月
日本がん治療認定医機構 がん治療認定医
2010年 8月
日本胸部外科学会 正会員
2011年 4月
秋田大学医学部附属病院 腫瘍情報センター講師
2013年 5月
日本呼吸器外科学会 評議員
現在に至る

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