エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.07H25.10掲載日

秋田大学大学院医学系研究科
眼科学講座 准教授

石川 誠
先生

これまで研究対象としていた眼が治療対象となり
患者さんを相手に疾患の診断・治療に取り組む楽しさは
初めて経験する感動でした。

石川 誠 先生

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医師を志すきっかけを教えてください

生まれる前の子供たちがこの世に降り立つべく、船に乗る。生まれたら、お前は何の職に就くのかい?「時」の番人が尋ねる。「時」の番人だから未来はお見通し-----と思えばそうでもない。医者になると告げた子供に文句を言った。「もうたくさんなのに。地上は医者でいっぱいなんだ。」(メーテルリンク「青い鳥」堀口大学訳、新潮社)

私が明確に医師を志したのは、高校時代でした。当時、世間では「医師過剰時代の到来」がささやかれ、「医師という職業は将来の構造不況業種であり、かつての石炭産業と同じである」とまで言われておりました。日本全体が右肩上がりの状態でしたし、今日のような地方における医師不足の時代が到来するなどということは、誰も予想だにできず、医師を志すこと自体、大変な冒険に思われました。
進路に悩んでいたとき、父から「世の中の人は、常に良いお医者さんを求めている。良いお医者さんが、医師過剰になって困る、などということなど無い」と諭されたことで迷いが消え、医学部受験に挑むことを決めました。そのとき、「良い医者」になることがどんなに大変なことであるか、知る由もありませんでしたが、「良い医者」になって、病に苦しむ患者さんの助けになることができれば、どんなに素晴らしいだろう、と純粋に考えていました。
医学部に入学してのオリエンテーションでは、「皆さん、医師がお金持ちになれる時代は終わりました。これからは医師過剰時代で、激烈な生存競争が皆さんを待っています。この状況を知りながら医学部に入学したのですから、皆さんは大変な自信家ですね。」という訓示を受けたことが印象に残っております。

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研修医の頃はどのように過ごされましたか?

私たちの研修医時代には現在のような研修制度は無く、卒後は大学の医局に入局して臨床医になるか、大学院に入学して臨床と基礎研究を行ない学位を取得するかの二つしか、選択は無かったように思います。私は、大学院に進学する道を選びました。

先輩医師から、「卒後10年間は、寝食を忘れて一生懸命に働け。そうすれば、医者として一生やっていけるだけの技量が身に付く」と言われ、大学院1年目は夜遅くまで研究室に残っておりました。といって、決して勉強ばかりしていたわけではありません。酒を飲んだり、世間話をしたり、テレビのプロ野球ニュース(当時)を見たりと、振り返ってみれば無意味な時間でしたが、当時は大人の仲間入りができたような気がして、満足しておりました。
大学院2年目からは基礎講座(解剖学講座)に配属となり、網膜の系統発生のテーマを与えられ寝食を忘れて研究に没頭し、遊ぶ時間はほぼ皆無でした。様々な 脊椎動物の網膜の視細胞を系統的に追って、2種類の視細胞(桿体細胞と錐体細胞)が、どの段階から分化するかを、電子顕微鏡と免疫組織化学によって明らかにしました。この研究は、Cell & Tissue Research誌に筆頭著者として2報掲載され、学位論文となりました。

大学院修了後は解剖学講座で2年間、助手として研究を続行させていただいた後、文部省在外研究員に選抜され、10ヶ月間、南カリフォルニア大学細胞生物学教室(Lincoln V. Johnason教授)に留学させていただきました。最初の2ヶ月はJohnson教授のご自宅にホーム・ステイさせていただき、研究室に通う生活を送りました。 留学中は、ウシの視細胞周囲にある細胞外マトリックスの微細形態に関する研究を行ないました。細胞外マトリックスは色素上皮と網膜の間にあり、栄養物質の交換や網膜接着の面で注目されています。細胞外マトリックスを抽出してpHを変化させると、微細構造が大きく変化するのは驚きでした。当時の研究は、その後、Experimental Eye Research、Ophthalmic Research、Japanese Journal of Ophthalmologyに掲載されました。

昨今は、留学する若者が少なく、社会問題になっていますが、当時は機会があれば積極的に海外に留学する機運がありました。「海外で一旗あげてやる」という意気込みもさることながら、「国際的に評価される優れた研究成果を発信するために、留学は必須」という冷静な計算もありました。
若いうちに留学すると、学問的にも人生経験の上からも、吸収することが多いと思います。将来、国際社会と対峙するにあたり、欧米人の社会や精神性に直接に触れる経験は、大きなプラスになります。私は、若い人はできれば海外留学をして欲しいと思っております。

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眼科医として、現在までのキャリアを教えてください

帰国してからは、基礎研究のみでなく、診療と優れた研究活動を有機的に統合させることによって、難治性疾患に苦しむ患者さんを救うことができないかと、真剣に考えるようになりました。そこで、秋田大学眼科に入局させていただき、診療と同時に網膜の基礎研究も継続して行なわせていただきました。これまで研究対象としていた眼が治療対象となり、患者さんを相手に疾患の診断・治療に取り組む楽しさは、初めて経験する感動でした。
これまで、新生児から後期高齢者まで広い年齢層を対象にして、緑内障診療を基盤に、前眼部から後眼部までの疾患の治療をカバーできる臨床経験を得ることができました。秋田県の地域基幹病院で科長として4年間勤務した経験も、地域医療が抱える問題点を知る上で、貴重な経験になりました。
国立大学医学部の存在意義は、「診療のみではなく、診療と優れた研究活動を統合させることによって、難治性眼疾患に苦しむ患者さんを救うことができる新しい医療を創出し、社会還元することである」と私は考えています。臨床の場で最善を尽くしても解決できなかった疾患や病態を、基礎研究の視点で見直し、問題解決に取り組み、画期的な医療を生み出すことが重要なのではないでしょうか。
私は現在、米国ワシントン大学医学部精神科(和泉幸俊教授)と共同で、緑内障の神経保護治療をターゲットにした研究をおこなっています。ワシントン大学医学部のNeuroscience部門は、全米でハーバード大学医学部に次ぐ高い評価を得ており、分離眼球標本をもちいた最新の緑内障実験技術は、ワシントン大学精神科から技術委譲をうけています。これまでの共同研究の成果として、Impact factor 3.5以上の4つの論文を発表することができました。

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最後に若手医師にむけてメッセージをお願いします

若手医師の皆さんは、今後、臨床の現場に立ち、様々な問題に直面するはずです。心ならずも不本意な状況や、理不尽な状況に追い込まれることがあるかもしれません。それは、医療が疾患を対象としているのみならず、人間を対象としている限り、避けて通ることができないことだと思います。
そのような、どうしようもなく困難な状況に直面した時の対処法について、大きなヒントを与えてくれる本に出会いましたので、紹介させていただきます。ヴィクトール・E・フランクル(Viktor E. Frankl)の「夜と霧」です。

「夜と霧」は、強制収容所における或る心理学者の体験を綴った手記です。日本語を含め17カ国語に翻訳され、発行部数は英語版だけでも累計900万部、アメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入ったベストセラーです。
筆者であるフランクルは、オーストリアの首都ウィーンに生まれたユダヤ人の精神科医です。彼はユダヤ人強制収容所の極端に低い生存率を生き残り、収容所から開放された後は、精神科医として人生に悩む人々を救い続けました。「夜と霧」の内容を順に紹介すると、

1)収容所という極限状態にあっては、囚人は精神的態度に基づいて、大きく二分された。すなわち、「典型的な収容所囚人」になりさがるか、あるいは、人間としての尊厳を守る「一人の人間」として踏みとどまるか、であった。

2)どうしようもなく困難な状況に直面した時、我々はしばしば、「いったい、なぜ、私がこんな目に遭わなければいけないのか?」と、人生に向かい問いを投げかける。しかし、実は私たちが、逆に「人生から問われている」のである。人生の様々な状況で、「人生から問われていること」を意識して、全力でそれに応えていくことが重要である。

3)あなたを必要としている「誰か」、あなたを必要としている「何か」が、必ず存在する。「誰か」や「何か」の存在に気付き、「誰か」や「何か」のために、あなたがしなければいけない事がある。それを果たしていくことが、この世に生まれた意味に通じる。

4)人間の生命は、常に如何なる状況下でも意味をもつ。

5)人生を意味あるものに変えるのに、遅すぎることはない。死刑を明日に控えた死刑囚でも、人生を意味あるものに変えることができる。


また、フランクルは、「幸福のパラドックス」についても言及しています。

1)「幸福の追求」も「自己実現の追求」も、きりがなく、どこまで行っても、決して満足することがない。

2)ひたすら「自分の幸福」を追い求める「自己中心的な生き方」から、「人生からの呼びかけ」に応えていく生き方へ転換すると、幸福も自己実現も、自ずと手に入る。

最後に、フランクルがわれわれに贈ってくれた言葉を紹介して、稿を終わります。

「どんなに私たちが人生に絶望しても、人生が私たちに絶望することはない。」

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履歴書

出身県:秋田県

出身高校:秋田高校理数科

出身大学:山形大学医学部医学科 昭和60年卒
     山形大学大学院医学研究科 平成元年修了(医学博士)

平成元年4月
山形大学医学部解剖学第一講座 助手
平成3年6月
~平成4年3月
文部省在外(若手)研究員
(南カリフオルニア大学細胞生物学講座)
平成5年1月
秋田大学医学部附属病院眼科 医員
平成6年10月
秋田大学医学部附属病院眼科 助手
平成13年4月
秋田大学医学部附属病院眼科 講師
平成14年9月
秋田県厚生連 雄勝中央病院 眼科科長
平成18年9月
秋田大学医学部附属病院眼科 講師
平成25年5月
秋田大学大学院医学系研究科病態制御医学系
眼科学講座 准教授

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