エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.08H25.11掲載日

秋田県立脳血管研究センター
脊髄脊椎外科診療部 部長

菅原 卓
先生

脳神経外科は神経系を中心に診療する
generalistであるとともにspecialistであり、
診断・治療からリハビリテーションまでを
総合的に行うことができる、
やりがいのある診療科です。

菅原 卓 先生

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脳神経外科の役割と、日本の脳神経外科について教えてください

日本の脳神経外科医数は約1万人、そのうち専門医は約7000人で両方とも世界で最多となっています。2番目に多いアメリカと比較しても3倍以上です。日本には脳神経外科医が多すぎるという議論がありますが、医療現場では明らかに不足しており、求人雑誌には大学医局や一般病院からの広告がひっきりなしに載っています。
なぜ日本にはこれほど多くの脳神経外科医が必要なのか?それは各国との制度の違いによります。日本の診療科制度を2階建ての建物に例えると、1階部分の基本診療科は18科です。脳神経外科は基本診療科なので1階にあり、他の診療科と重ならない基本的な診療領域を担当しています。さらに2階部分である高度に専門化した領域も含んでいます。
一方、心臓血管外科は2階、神経内科も2階です。日本の脳神経外科は幅広い1階部分で救急診療や画像診断からリハビリテーションまでをこなし、さらに2階で専門的治療・手術を行っているのです。
例えば、「病院を受診した脳卒中患者は何科の医師が最初に診るか?」という調査では脳神経外科56%、内科医5%であったそうです。脳神経外科は神経系を中心に診療するgeneralistであるとともにspecialistであり、診断・治療からリハビリテーションまでを総合的に行うことができる、やりがいのある診療科です。また、高齢化にともなってさらに患者数は増え続けており、将来性も約束されています。

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留学はされましたか?また、どのような研究をされましたか?


秋田大学脳神経外科はアメリカを中心として数ヶ所の施設と共同研究を行っており、私は幸運なことに2度の長期留学を経験しました。

1度目はアメリカ東海岸の都市フィラデルフィアにあるペンシルバニア医科大学神経生物学講座で、最先端であった胎仔神経組織移植による脊髄損傷治療の基礎研究に携わりました。当時はラットやネコなどの脊髄損傷モデルにおいて、胎仔神経組織などを移植することにより、脊髄内神経再生が起こって運動機能も回復するという衝撃的な報告がなされ、脊髄移植による脊髄損傷患者の治療が現実味を帯び、研究施設間での熾烈な競争が始まっていました。落馬による脊髄損傷で四肢麻痺となったクリストファー・リーブ(映画「スーパーマン」の主演俳優)も脊髄移植研究推進のため、アメリカ神経科学会で講演していたのを覚えています。
私は脊髄移植治療の臨床応用を夢見て、20代の2年間をラットの移植モデルを用いた神経再生実験に費やしました。しかし、結論としては、われわれのグループでは脊髄内の軸索再生は起こるものの、運動機能の明らかな回復は観察できず、同様に他のグループにおいても機能回復は起こらないか限局的であるとする結果が大勢を占めることになりました。振り返ると、中枢神経系への胎仔神経移植実験は神経再生現象を理解するうえで神経科学の分野に大きな収穫をもたらしましたが、移植する組織の複雑な構造や免疫原性などにより、臨床応用には程遠かったのだと思われます。
米国滞在中にウクライナの首都キエフのキエフ脳神経外科病院で胎児脳を小児脳性麻痺患者の脳に移植するヒト同種中枢神経移植を行っているという情報を得て、ウクライナに渡りました。現地では手術や摘出標本の観察に参加し、胎児脳が小児脳の中で生存している組織を観察しました。しかし、この研究においても臨床症状の改善は証明されず、また胎児組織を用いることに対する批判が集まり、現在は行われていません。それから10年の時を隔ててES細胞(embryonic stem cells)やiPS細胞(induced pluripotent stem cells)が実用化され、脊髄損傷の移植治療は実現に向けて大きく前進しました。

最初の留学から帰国して5年後に、脳虚血と脊髄損傷の研究のため、アメリカ西海岸のスタンフォード大学脳神経外科学講座に留学しました。動物実験に分子生物学的アプローチが広く普及した時期で、前回留学時には不可能であった神経損傷・修復メカニズムの詳細な検討が目的でした。留学中の3年間は脳虚血や脊髄損傷モデルを作成し、分子生物学的手法で虚血・損傷後の酸化ストレス発生、アポトーシス関連蛋白の表出やDNA損傷についての研究に没頭し、酸化ストレス抑制やミトコンドリア膜安定による神経保護の重要性をいくつかの論文にまとめました。
また、脳梗塞治療を目的とした強い神経保護作用を持つラジカルスカベンジャーの創薬に携わり、シリコンバレーのentrepreneur(起業家)に多くの知己を得ました。彼らの常に困難を切り開きつつ理想郷を目指すフロンティアスピリットはアメリカを動かす原動力なのだと思います。Apple創業者スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学での講演で卒業生に贈った言葉”Stay hungry, stay foolish.” が心に響きます(私の解釈は“現状に満足するな、常に挑戦者であれ”)。

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海外での研究から感じたことを教えてください

革新的治療法を確立するためには、理論的根拠と人的資源、設備、研究資金は必要条件であり、それに加えてタイミングやバランス感覚が重要だということです。どんなに優れた方法でも、人々の想定外に進歩したものや、その時代の倫理観に反したものは結局受け入れられないからです。 医学研究の世界にも流行り廃りがあり、研究テーマを選ぶ時点では結末は予測不可能です。常に正当な手法を用い、倫理面に配慮して研究を進めるのと同時に、時代のトレンドを見極めることも重要です。私は国内・国際学会に積極的に参加し、可能な限り手術見学に出向き、依頼があればどこへでも出かけるというフットワークを大切にしています。

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臨床ではどのような業務をされてますか?

私は医師になって最初の12-3年は主に脳卒中の手術・内科的治療の修練を積み、その後は脊髄脊椎外科を診療の中心にして約1600件の手術を担当しました。脳卒中と脊髄脊椎疾患は国民の高齢化に伴い患者数が増加しており、脳神経外科の中でも特に重要な分野です。
当科では脳卒中発症後の手術・内科的治療のほかに、高齢化に対応して再発予防や血行再建術にも力を入れています。また、脊髄脊椎分野では3Dコンピューター技術を駆使した手術の低侵襲化や精度向上、新しい手術法の開発を行っています。
日本は世界一のスピードで高齢化が進行しており、秋田県はその中でも先頭を走っています。「今後の日本-高齢化社会での医療はどうあるべきか?」という課題に関して、秋田がモデルケースとなるように努力していかなければなりません。

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秋田に住むということを選んだのはなぜですか?

若いころは都会や海外での華やかな生活に憧れました。海外留学で望みの一部はかなえられましたが、結局は秋田でもう20年以上医療に携わっています。
私にとって秋田に住む大きなメリットは「ストレスが少ないこと」です。空気、水、食物は毎日人間の体に入るもですが、秋田の空気、水は文句なしに一級品ですし、新鮮な山海の食材が安価に手に入ります。交通渋滞はなく、どこへ行っても空いていて行列に並ぶこともありません。ちょっと郊外へ足をのばせば手つかずの自然があります。都会のような派手さやワクワク感はありませんが、環境・社会ストレスの少ない秋田だから、いろいろなことに集中できると思っています。

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至福のときはいつですか?

出張のない週末など、月に1-2度は料理を楽しんでいます。家族や友人とホームパーティをしながらお酒を飲むのは至福の時間です。

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最後に学生・研修医の方へメッセージをお願いいたします

われわれの世代が医師になった時代には研修医制度は一部の病院にしか存在せず、1年目から大学の診療科に入局するのが一般的でした。私も例外なく卒後ただちに秋田大学の脳神経外科に入局したのですが、みなさんから見ると「各科の研修もせずに勇気のある選択をしていたのか」と驚かれるでしょう。
しかし当時、医局を選ぶ材料といったら、ポリクリ(死語かもしれませんが病院実習のこと、ドイツ語でPoliklinik【総合病院】を意味する単語に由来する)での指導医の態度とか、何科は医者が足りているとかいないとかの根拠のない情報や漠然としたその科の将来性などでしたから。でも大丈夫。どの科でも入ってみれば、やりがいがあり、最先端があり、夢があります。
私の興味は「脳と脊髄」にありますが、基礎研究でも臨床でもその奥の深さと面白さを堪能しています。

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履歴書

岩手県出身

1983年
盛岡第一高等学校 卒業
1989年
秋田大学医学部 卒業
1989年
秋田大学医学部脳神経外科 研修医
1989-1990年
平鹿総合病院 医師
1991年
由利組合総合病院 医師
1992年
秋田大学医学部脳神経外科 助手
1992-1994年
米国ペンシルバニア医科大学神経生物学講座 留学
1995年 
医学博士号
1996年
日本脳神経外科学会専門医
1998-2001年
米国スタンフォード大学脳神経外科学講座 留学
2003年
秋田大学医学部脳神経外科 講師
2005年
日本脳卒中学会専門医
2006年
日本脊髄外科学会認定医
2008年
日本脊髄外科学会指導医

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