エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.11H25.12掲載日

秋田大学医学部附属病院
中央放射線部 准教授

高橋 聡
先生

重要なことは,その場その場で
全力を尽くす事だと思います。

高橋 聡 先生

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どのような子ども時代を過ごされましたか?
また、医師を目指したきっかけはありますか?

大曲市(現、大仙市)に生まれ育ち、小学生の頃は「ドリトル先生」を愛読し、犬好きなこともあって、獣医になりたいと思っていました。また、小学校では水泳部、中学では剣道部に所属し、部活中心の生活でした。 中学の県総体では初日の個人戦で思いがけず準優勝し、その日の夜はうれしくて眠れませんでしたが、翌日の団体決勝トーナメントの大事な一戦で負けてしまい、チームに対して申し訳なく、とても辛い思い出です。 ちなみに、負けた相手は現在、秋田県内で外科医をされている先生で、その後大学の北医体で再び剣を交えることとなります。
横手高校理数科に進学しましたが、剣道を続けるかどうかで、かなり悩みました。入学1カ月で入部を決心し、いきなりハードな練習に参加したところ、著明な血尿があり、入院となりました。これをきっかけに医学に関心を持つようになり、卒業後は、弘前大学医学部に入学しました。

大学でも部活を中心とした生活で、最初はバスケットボール部、その後、剣道部に所属しました。秋田大学との練習試合で、現在某大学で教授をされている先生のダンクシュートを目の当たりにし、衝撃を受けた記憶があります。
卒業後は弘前に残ることにし、剣道部OBが誘ってくれた放射線科に入局するか、眼科にするか迷いましたが、ちょうどHCCの塞栓術やASOに対するバルーン血管形成術などのinterventional radiology(IVR)が行われ始めた時期で、興味がありましたので、「入局したら、即戦力だ。すぐアンギオをやらせる。」という助教授の一言で放射線科への入局を決心しました。

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研修中の思い出深いエピソードを教えてください

放射線科へ入局して1年間、大学病院でCTの読影やアンギオ、病棟管理を研修し、翌年、八戸市にある青森労災病院に転勤となりましたが、赴任後、すぐ、上司が学会に出張。1人きりで不安な所に、婦人科から、進行子宮頸癌出血症例の緊急塞栓の依頼がありました。
大学に応援要請の電話をしたところ、「簡単だから1人でやれ」という助教授の冷たい一言で、最初の1人アンギオが緊急塞栓術という事態になりました。血圧が低く、穿刺さえ、ままならない状態でしたが、左右の内腸骨動脈の塞栓を何とかやり遂げ、うまく止血に成功した時は緊張が緩んで、腰が抜けそうだったのを覚えています。

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研修中、研修後はどのように過ごされましたか?

研修中の労災病院放射線科では上司が卒後5年目の先生でしたが、脳血管造影やCTの読み方の他、TACE、経皮経肝的食道静脈瘤塞栓術、胆管ドレナージなどのIVR、USG、気管支鏡、放射線治療と、様々な事を教えてもらい、充実した日々でした。
2年間の研修の後は弘前大学に戻り、今度は青森県立中央病院に赴任しました。ここでも、労災病院時代の先生が科長でした。ちょうどマイクロカテーテルが導入され、脳動静脈奇形塞栓術などのneuro-IVRが始まった時期で、再び、先生の下で修業しました。交通外傷などの救急患者も多く、緊急塞栓術を行う機会も多々あり、医師としては充実した生活でしたが、殆ど病院にいたので、結婚したばかりの家内には申し訳ない気持ちでした。なお、その先生は現在、東京都でMRIやCT装置を有する放射線科として開業されています。

卒後5年目で初めて神経放射線研究会に参加したところ、現在、某大学放射線診断科教授をされている先生が、film reading sessionで難解な症例をすらすらと理論立てて回答する姿を目の当たりにし、非常に感銘を受けました。それ以来、神経放射線診断に興味を持って勉強を始めました。形から入るタイプだったので、神経放射線や脳神経外科関係の外国雑誌を4誌購読することから始めたのですが、請求書の値段にびっくりし、ちゃんと調べてから購読すればよかったと少々後悔しました。
また、当時の教授からは、しょっちゅう、論文を書くように言われており、内心では反発していました。しかし、実際に初めて書いた論文について、面識のない先生から、「あの論文のお陰でうまく治療できました。ありがとう。」などと言われ、IVRで患者さんや担当医から直接感謝されるのとは別に、こういう医学貢献もあるのだなあ、と自分なりに納得し、それ以来、できるだけ論文は書こうという気持ちになりました。

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留学はされましたか?

卒後8年目にテキサス大学サンアントニオ校に留学し,当時,世界で最初に認可されたステントの開発者であるPalmaz先生のもとで,実際のIVRや動物実験を見学しました。UCSFにも見学に赴き,日系2世のHieshima先生による脳動脈瘤のコイル塞栓を見学し,また,神経放射線診断の権威であるNewton先生とBarkovich先生にもお会いできたのは良い思い出です。米国での留学で視野が広がり,とても貴重な経験を得ることができました。
その後,弘前大学に戻り,お世話になった教授が退官された際に,地元の秋田大学に移籍することができました。相変わらず,神経放射線診断とIVRを中心に診療しています。特に硬膜動静脈瘻の診断と血管内治療について,興味を持って診療を続けていますが,昨年の国際学会で,この領域の権威であるフランスのCognard先生の前で,硬膜動静脈瘻の画像診断の教育講演を行ったのはちょっとうれしい出来事でした。

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至福のときはいつですか?

冬の趣味はスキー。夏油高原などで春先まで滑ります。カービングスキーによって、滑る意欲が復活しました。ショーンホワイトに憧れて、3年前にスノーボードを始めましたが、止まることができず、転びまくって1年で挫折しました。
また、今年の1月に、娘の希望で念願の室内犬を飼い始めました。ミニチュアプードルとチワワ、ペキニーズのミックスですが、とにかくかわいい。いつも癒されています。朝、散歩に連れて行くのが楽しみです。
映画やDVDを観るのも好きです。お薦めは、「プロヴァンスの贈りもの」で、時々観ては癒されています。リドリー・スコット監督、さすがです。

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最後に若手医師にむけてメッセージをお願いします

これまで、弘前や秋田と、同僚や上司、職場のスタッフに恵まれて充実した日々を過ごすことができました。行き当たりばったりの人生を歩んできましたので、研修医や若い先生方の参考になるような言葉は出てきませんが、重要なことは、その場その場で全力を尽くす事だと思います。医師としての生活は決して楽しいことばかりではありませんので、辛い時には、忍耐と明るさが必要です。
放射線科は、懐の深い、何でもありの科です。画像診断も良し、IVRも良し、核医学も良し、放射線治療もまた良し。脳神経から骨盤あるいは骨軟部まで専門領域も多彩です。主婦業や育児をしつつ、キャリアアップが可能です。女性を含めて、入局、大歓迎です。

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履歴書
1979年
秋田県立横手高等学校卒業
1985年
弘前大学医学部卒業
1985年
弘前大学医学部放射線科入局
1986年
青森労災病院放射線科
1988年
弘前大学医学部附属病院放射線科助手
1989年
青森県立中央病院放射線科
1990年
弘前大学医学部附属病院放射線科助手
1992年
テキサス大学サンアントニオ校に留学
1992年
弘前大学医学部附属病院放射線科助手
1994年
青森市民病院放射線科科長
1995年
弘前大学医学部放射線科助手
1997年
秋田大学医学部放射線科助手
2001年
学位取得
2003年
秋田大学医学部放射線科講師
2010年
秋田大学医学部中央放射線部准教授
現在に至る

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