エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.13H26.2掲載日

由利組合総合病院
診療部長・内科
臨床研修プログラム責任者

西成 民夫
先生

スーパーローテート初期研修と米国家庭医との出会い、
大学血液内科での後期研修を通して、
専門性を持ちながら患者さんを総合的に診療できる
病院医師が求められていると考えます

西成 民夫 先生

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子供の頃はどのように過ごされましたか? 

マンガを描くのが好きで、小学校6年生まではひたすらマンガを読んで描いていました。藤子・F・不二雄や、ブラックジャックではないアトムと火の鳥の頃の手塚治虫から影響を受けています。また、矢口高雄先生が銀行員をしていた頃同じ町内に住んでおり、教えてもらいました。患者さんやスタッフと話をするときの基本的な考え方・話し方は、この頃とほとんど同じです。

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医師になろうと思ったきっかけはありますか?

特別なきっかけはなく、人間を総合的にみる仕事として医師を選びました。

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大学時代はどのように過ごされましたか?

4年生時医学祭で副実行委員長と、また同級生と一緒に「秋田のがんを考える会」というのを立ち上げて胃がんのフィールド研究発表をしました。

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どのように研修医時代を過ごされましたか?


ある先生の紹介で長崎県大村市にある国立長崎中央病院(現・国立病院機構長崎医療センター)でスーパーローテート研修をしました。学生のとき、秋田や長野の農村医療・健康づくりや予防医学を多く見聞しましたが、別の地域医療もあると考えたからです。
将来離島で勤務する医師たちと一緒に小児科・外科・内科各6か月と産婦人科・皮膚科・成人病センター・離島病院を各1~2か月ずつローテートしました。小児科はNICUが2か月、一般小児病棟2か月、小児科外来と喘息慢性疾患病棟が1か月ずつでした。当時は自衛隊のヘリコプターでしたが、既に離島からの母体や未熟児含めたヘリコプターでの救急搬送システムがあり、大きな衝撃を受けました。外科は腹部一般外科4か月、脳外科と心臓外科各1か月でした。外科時代の指導医の先生から全身管理や麻酔の基礎、癌患者さんへの接し方、学会発表の方法、指導医・研修医関係など多くのことを教えてもらいました。
現在の発想や研修医の先生方への接し方は、この先生からと、次に述べる先生の影響を強く受けています。またスーパーローテートした経験が現在研修医の先生と話したり、プログラムを決めたり、抄読会や症例検討会で各科の研修医に質疑応答するときなど大変役にたっています。

この初期研修中に、米国から3年間のFamily Medicine Residencyを修了して赴任してきた先生がおりました。今でこそ家庭医という言葉がブームでやや安易に使われていますが、当時の厚生省からプライマリ・ケア指導医として米国に派遣され研修し専門資格を取得した正真正銘の家庭医は、日本ではこの先生ほか10名足らずです。研修医時代にこの家庭医専門医から実際に指導を受け、米国の家庭医について教えて貰い、さらに米国のプログラムを日本でどう生かすかという方向付けや考えを聞くという貴重な経験を得ることができたのです。先生たちはその後十数年かけて日本での新臨床研修制度の導入に向けて尽力することになります。平成12年に当院でも教育講演会をしていただきました。

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先生のライフワークを教えてください

ライフワークといえるかわかりませんが、上記臨床研修に関することと、造血器腫瘍の化学療法でしょうか。成人T細胞性白血病(ATL)の患者さんは、当院の症例数が秋田県で一番多いと思います。また医学書以外にユングの本や宗教書も読みます。治らない患者さんや末期の患者さんに対応するときに役立ちます。

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留学はされましたか?

染色体研究と家庭医研修で別々に勧められましたが、していません。外国人医師とは、秋田大学第三内科時代に、ベラルーシや中国から第三内科に造血幹細胞移植の勉強目的で留学して来た先生方と議論したり、いろいろ話したりしました。また、同級生の誘いでアジア医師連絡協議会(AMDA)が発足して間もない頃参加し、海外の会議でタイやフィリピンに赴いて現地の若手医師と交流しました。

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その後現在までのキャリアを教えてください

初期研修終了後は秋田大学に戻り専門研修しました。第三内科(血液腎臓膠原病内科)で造血幹細胞移植をしながらALLの染色体分析しデータを作りました。学位取得前後5~6か所の県内外病院や自分のクリニックでも仕事しましたが、現在の厚生連病院で通算20年ほど勤務して現在に至っています。
専門診療を通じて教授や同門の先生方にお世話になっていますが、秋田県のなかで医療をする上で、やはり医局を通じた人間関係が無視できないと思っています。県の指導医講習会ほか医師確保対策室の仕事もしていますが、何故か第三内科の先生方とはレジデント・スキルアップ・キャンプやレジナビ、学生説明会で一緒になります。

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最後に若手医師へのメッセージをお願いします

専門性を持ちながら患者さんを総合的に診療できる病院医師が求められています。また、研究することや資格の取得も若いときでなければ出来ない大事なことだと思います。今はつらいと思うことが多いかもしれませんが、何年かして研修医時代や若手の頃を振り返ったときに、きっとその果実が甘かった(良かった)と思う日が来ると考えます。がんばってください。

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履歴書

出身県   秋田県
出身高校  秋田県立横手高校
出身大学  秋田大学医学部(1983年卒)

1983年
国立長崎中央病院(現国立病院機構長崎医療センター)
臨床研修医
1989年
秋田大学大学院医学研究科卒業(医学博士取得)
1989年
市立函館病院、由利組合総合病院勤務
1990年
男鹿市立病院(現男鹿みなと市民病院)、その後
秋田大学附属病院第三内科勤務
1992年
由利組合総合病院内科赴任
1993年
日本血液学会専門医、日本内科学会(現総合)内科専門医
日本医師会認定産業医
由利組合総合病院保健活動室兼内科科長
2001年
日本人間ドック学会認定医(現在退会)
2003年
西成クリニック開設、その後由利組合総合病院内科科長
2008年
秋田県指導医講習会世話人
2009年
由利組合総合病院診療部長

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