エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.20H26.5掲載日

秋田大学医学部附属病院
麻酔科 助教

佐藤 浩司
先生

自分一人だけで成長するわけではなく、
さまざまな人にお世話になっているということを
忘れてはならないと思います。

佐藤 浩司 先生

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麻酔科を専門に選んだきっかけを教えてください

大学5年生の冬に臨床実習で麻酔科を回るまでは、特に志望する科というものがありませんでした。しかし麻酔科を回った初日、手術室で全身麻酔管理をする麻酔科医を見た瞬間「自分が進む道はこれしかない」と思いました。
大学時代バレーボール部に所属しており、ポジションはセッター(補欠)でした。セッターというポジションがすごく好きだったのですが、外科医が手術に専念できる状態を作り上げ、それを維持する麻酔科医が、アタッカーの能力を最大限に引き出すことが求められるセッターに似ていると思いました。そのまま迷うことなく麻酔科医として働くことを決めました。

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麻酔科専門医を取得するまでの経緯を教えてください



1年目、秋田大学医学部附属病院(以下大学病院)― 基本的麻酔手技・麻酔管理の研修でしたが、すべての手技に失敗する日も少なからずあり、何度もくじけそうになりました。また当時「毎日すべての手術が終わるまで研修医は帰ってはいけない」という不文律があり、毎日夜遅く(もしくは明け方)まで病院にいました。大変つらい生活でしたが、自分の担当症例以外も最後まで診ることで、手術室全体の安全を麻酔科医が守るという心構えが染みついたと思います。

2年目、由利組合総合病院― 主な業務は手術麻酔でしたが、救急外来に蘇生が必要な患者が搬送されてくると麻酔科医が応援に行くことが多く、心肺蘇生を多く学びました。またICUで蘇生後脳症の患者や溺水患者などの管理も学びました。指導医なしで緊急手術の麻酔のポケベル当番をさせていただいたのも、この時期からでした(もちろん自分の手に負えない症例については、指導医のフォローをいただいていました)。

3年目、大学病院― この時期は、毎日必ず困難な麻酔症例を担当することになっていました。泣きたくなるような経験も多々あり非常につらかったですが、これは麻酔科医として必ず通らなくてはならない道だと、今になって思います。

4年目、平鹿総合病院― 手術麻酔のほか、ペインクリニックにも力を入れており、ここでペインクリニックの基本を学びました。

5年目、大学病院― この時期から、困難な麻酔症例にも指導医がつかなくなりました。また、一般的な麻酔症例ではオーベンとして後輩の指導に当たることになりました。

6年目、山本組合総合病院― 手術麻酔のほか、ペインクリニック、全館救急当直の経験もしました。6年目の秋に日本麻酔科学会の専門医試験を受験し、7年目の春から麻酔科専門医となりました。

大学病院以外では麻酔科医が自分を含めて2~3名でしたので、ポケベル当番が月に10回~18回ありました。正直なところ多いと感じてはいましたが、私の赴任した病院はすべて地域中核病院でしたので、自分たちがその地域の麻酔診療をすべて担っているという責任感と誇りでやっていました(下っ端なりに気持ちはありました)。緊急手術の麻酔は非常に勉強になりましたので、今では感謝しています。専門医資格を取得するまで1年ごとにいろいろな病院に勤務し、非常にバランスの良い研修ができたのではないかと思います(でも引っ越しは大変でした)。

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その後現在までのキャリアを教えてください

7年目の冬に教授から、大学院で研究に挑戦してみないか、とのお話をいただきました。それまで動物実験はしたことがなかったのですが食わず嫌いはよくないかなと考え、8年目の春から社会人大学院生として大学病院で働きつつ、研究をすることになりました。社会人大学院生といっても臨床業務はそれまでとほぼ変わらず、週1回の研究日で実験をしました。研究テーマは「ラット一過性前脳虚血モデルにおける低体温療法とα2受容体作動薬併用療法の脳保護効果」。実験を軌道に乗せるのに時間がかかったのと、英語の原著論文を書いたことがなかったため、非常に難航し卒業まで6年かかりました。
昨年度から医局長となり、予定調整を任されています。ギリギリの人数の中で大学病院の手術室の安全を確保し、かつ一般病院からの派遣要請にできるだけ答えるという難題に日々取り組んでいます。今はそのことに労力の大半を費やしており、夢の中でも予定表を作っていることが結構あります。

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最後に学生、若手医師にメッセージをお願いします

自分が将来どのような医師になりたいか、診療科の中でも何を専門にしたいか、という大まかなビジョンは必要かと思いますが、まずは自分の診療科における最低限の診療能力を身につけることで、自分の得意分野を専門にして伸ばしていける土台を作ることです。その土台がしっかりしていれば、あとは自然と伸びていけると思います。秋田県だけでは臨床医としての修練が不十分だということは決してないと思いますが、土台がしっかりできあがった段階でそれでもどうしても物足りないという人は、しかるべき施設でさらなる研修をするという選択をすればいいのではないでしょうか。私自身修行時代は臨床業務に忙殺され、疲れきっていて教科書を読む気力もなく(単なる甘え?)、「今の研修で果たして自分が成長できているのか」という漠然とした不安がありました。しかし振り返ってみると、臨床医として一人前でない段階では、どんなことであれ勉強になっていました。
「こんな症例担当したくない」というような難しい症例を担当することになった場合、逃げ出したくなる気持ちはよく分かります。私自身何度逃げ出そうと思ったか分かりません。しかし、ある指導医の言葉「一度逃げたら一生逃げ続けなければならない」を胸に頑張ることができました。楽をして一人前になれるならこんないい話はありませんが、世の中それほど甘くはありません。 土台ができあがるまでは指導を受けながら成長し、できあがった後は後輩に指導しながら自分もさらに成長するものです(今でも毎日が勉強です)。

若いうちはいろいろな失敗をして患者さん・指導医・他のスタッフに迷惑をかけてしまうことと思います。昔、手技がうまくいかず、指導医に代わってほしいとお願いしたところ「おれがやれば一瞬で終わるところをあえてお前にやらせているんだ。この意味をよく考えろ。心してやれ」と言われたことがあります。自分一人だけで成長するわけではなく、さまざまな人にお世話になっているということを忘れてはならないと思います。自分だけ教えてもらっておしまいにはせず、先輩から受けた恩は、後輩に返していってください。
秋田には熱い指導医が数多くいます。ぜひ秋田で研修してみてください。絶対に損はさせません。お待ちしています。

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履歴書
出生地
秋田県
出身高校
1991年 秋田県立秋田高等学校卒
出身大学
1997年 秋田大学医学部卒

卒業後の職歴

1997年
秋田大学医学部 麻酔科 研修医
1998年
由利組合総合病院 麻酔科 医師
1999年
秋田大学医学部 麻酔科 医員
麻酔科標榜医取得
2000年
平鹿総合病院 麻酔科 医師
2001年
秋田大学医学部 麻酔科 助手
2002年
山本組合総合病院 麻酔科 医師
2003年
日本麻酔科学会 麻酔科専門医取得
2004年
秋田大学医学部 麻酔科 医員
秋田大学大学院医学研究科入学(社会人大学院生)
2007年
秋田大学医学部 麻酔科 助教
2008年
日本麻酔科学会 麻酔科指導医取得
2010年
秋田大学大学院卒業・医学博士取得
2013年
日本麻酔科学会 麻酔科指導医更新
現在に至る

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