エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.22H26.6掲載日

秋田厚生医療センター
診療部長 小児外科

畑澤 千秋
先生

困難を乗り越える経験は、
今後診療上の難題や
自分自身の人生の迷いに遭遇した際に
解決への自信にきっとつながることと思います。



畑澤 千秋 先生

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幼少時代はどのように過ごしましたか?

 私は現在の脳血管センターや成人病医療センターの場所にあった秋田県立中央病院で生まれ、自宅は千秋トンネルのそばでした。道路建設のため転居しましたが入学したのは明徳小学校であったため、こどもの頃の活動の場は千秋公園でした。中学校では軟式テニス、高校ではラグビー部に入りましたが、どちらかというと運動神経が鈍く、チーム・メイトには大分迷惑をかけました。ラグビーは大学でもやりましたが、このスポーツを経験することができた事は一生の宝と思っています。

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医師になろうと思ったきっかけを教えてください

 中高生の頃は将来についての夢や希望、目標は特になく、ただ漫然とした生活を送っていました。両親が教員でありその教え子の方々との関わりを目にし、またTVの学園ドラマの熱血教師などからも影響を受け、自分も学校の先生になろうかなと思っていました。
 早くからのあるいは確固たる意志を持って入学した方々には申し訳ないのですが、そういうことではなしに結局医学部に進みました。医学生になっても自分の進む方向を真剣に考えることはあまりありませんでしたが、漠然と外科系に進みたいという思いはありました。「外科医はかっこいい」と思えたからです。また自分自身は物事をじっくり考える内科より、あまり考えず直接手を使って即時に対処する外科が向いているのではないかとも感じていました(当時はそう感じていたということで、外科は何も考えないということではありません)。

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小児外科医を志したきっかけを教えてください

 4年生のある夜、ラグビー部の先輩と矢留町のこ汚い飲み屋に入ったところ、当時の第一外科で小児外科担当の先生がおられました。先輩はすでに授業を受けていたようでしたが私には誰だかわからず、好きな事をしゃべりまくりました。そのままご自宅に連れていかれ、その後も忘年会や行事の際にちょくちょくお呼びがかかることになりました。臨床各科を実習で回るうちに、症状や所見から病変の局在を診断する神経内科や失われた視力を取り戻す眼科等にも興味をひかれていましたが、外科でありまたこどもは苦手ではなかったので、お誘いくださった小児外科を専攻することにしました(選択の余地はなかったかもしれません)。

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研修医時代はどのように過ごされましたか?

 卒後1年目は大学病院で小児外科、2年目は兵庫県立こども病院で小児外科、3年目は北秋中央病院(現在の北秋田市民病院)で成人外科の研修を受けました。
 卒後4年目から大学病院で本格的に専門領域の研修が始まりましたが、これ以後しばらく24時間355日(夏休みなどが10日くらいあった)拘束の生活が続きました。07:30から回診があり、その前までに患児やその親を起こして採血を行ない緊急検査室で計測を行なっておかなければなりません。当時は呼吸管理を含めた術前・術後管理はもちろんのこと、診断や手術患児の体調不良時の対処、癌の化学療法なども小児外科で行なっていましたので、仕事は山のように待っていて、それらは人手を要し、また思い出したように次から次と湧いて出てきました。科の方針は「診療は分担してではなく、全員で一緒に行なうこと」でしたから、自分が実際に何かしなくとも最後までその場にいなければなりませんでした。いつまでたっても仕事は終わらず、自分自身の時間というものはほとんどありませんでした。
 常に臨床現場に張り付いていたことは、疾患の自然史や術後の経過、合併症などを身を持って知ることにおいて正に理想的な勉強となりました。また労力を惜しまず対処する姿勢や患者中心の人生を歩むことも厳しく指導されました。この間学会や研究会で発表を行なう機会を数多くいただき、外科専門医や小児外科専門医の資格を取得し、学位も授与されました。小児外科開業医のもとに勤務することもありました。若いうちに鍛えられることは非常に価値があり、またありがたいことです。特に自分のように意志の弱い者には、叱咤激励してもらえる環境が好都合でした。


 しかしこのような日常は勉強にはなりましたが、実際の生活では本当に困ることもありました。個人的な生活をほとんど犠牲にしなければなりませんでしたのでだんだん精神的にも疲弊してきました。小児外科疾患は数が限られておりなかなか自分で執刀する機会が回ってきません。指導医資格もいつになったら取得できるのか見込みがつかない状況で、かっこいい外科医とは程遠い状態に思えました。疾患を抱えた児を手術によって回復させるという本来の魅力は捨てがたいものがありましたが、やがて現実と将来に展望をいだけなくなってしまいました。

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下積み時代を終えた卒後10年目以降はどのように過ごされましたか?

 1年間中通病院小児外科にて勤務させて頂いた後、卒後12年目に小児外科専従から離れることになり、青森県立中央病院の外科に派遣していただきました。この時は今後小児外科手術に従事することはないであろうと思って赴任しました。専門外の成人外科を改めて始めることに不安もありましたが、実際に勤務してみると職場は性に合い、手術も数多く担当できすっかり気に入ってしまいました。消化器外科認定医を取得できるだけの経験は速やかに確保でき、結局小児外科疾患も扱ったので、青森県病の2年半では生後0日から96才までの患者さんの手術を担当したことになりました。
 卒後14年目に大曲中通病院に転勤し、再び小児を扱うことにしました。青森県病には愛着がわいていましたし消化器外科専門医取得の準備もしていましたが、いずれは秋田に戻ることを考えており、ちょうどお誘いを受け決めました。大曲中通病院では小児科・小児外科を担当しましたが、実際には手術例は少なくほとんど小児内科疾患が対象でした。赴任当初は患者数も少なく一人一人の患児に十分な時間をかけられたことが幸いし、ある患児・疾患に遭遇すると一つ一つ成書や文献に当たり診断や治療を確認することを繰り返しました。患者数が増えてくると、一般的な疾患ではあるがあまりはっきりと解決されていない疑問を中心とした臨床研究もやってみました。重症や手に負えない疾患・患者は、つてをたより多くの小児科医の助けを受けました。乳幼児検診においてはちょうど同年代の自分のこどもが生きる教材となり、小児科医である家内が一緒に勤務しながら家庭教師となりました。

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現在の活動を教えてください。
また、今までの医師生活を振り返ってみての感想を教えてください

 卒後21年目から現在の秋田厚生医療センターに移り、小児外科を標榜し小児の日常の外科疾患を担当するとともに、小児科の一般診療にも従事しています。これまでの経験を活かしながらさらに学ぶことも多い日々です。同僚の小児科医とは各々の専門を持ち寄りながらスクラムを組み、チームで総合的に患児の診療に当たっています。また各診療科の医師の力も借り、パスを出したり受けたりしながらゴールを目指しています。かっこいい外科医になれたかどうかはわかりませんが、小児科専門医の資格も取得し、最近数年間は小児を総合的に診る医者として最強の実力を有していると自負しています(他との比較ではなく、過去から現在までの自分の中ではという意味で)。
 これまでの勤務経験は大学病院、専門病院、総合病院、中小病院、医院、従事した内容は小児外科、成人外科、小児科、立場は研修医、医員、科長と様々で、振り返ると紆余曲折の経歴でした。当時はそう思えないこともありましたが、しかしこれらの全てが現在の臨床医としての能力に生きていると今は思えます。ほとんどの医師がいずれ大学医局の庇護を離れ自分で道を切り開く時期を迎えるわけですが、自分の場合はまさに青森県病と大曲中通病院勤務時代がそうであると実感します。しかしそのようにできたのは、やはり基本的な考え方や知識、技術をそれまでの経歴の中で若いうちに叩き込まれていたからだと思います。

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学生、研修医にメッセージをお願いします

 現在診療外の業務として初期臨床研修のお手伝いをしています。自分がこのような立場に立つことは考えてはいませんでしたが、何かかつて考えた事のある学校の先生になったようで、少し嬉しい気もしています。いろいろな病院、診療科、立場を経験してきたことを、研修医の役に立てられればと思っています。研修医に接する時、かつての指導医の方々はどのように考えながら自分を指導してくださったのかを思います。また現在の自分を見てどの様に評価してくださるか心配です。
 今も昔もどんな職種・職場でも、新人や若いうちは修行の時期です。そして修行は(理不尽な強要によるものは問題外として)厳しければ厳しい程、辛ければ辛い程身に付くものではないでしょうか。困難を乗り越える経験は、今後診療上の難題や自分自身の人生の迷いに遭遇した際に解決への自信にきっとつながることと思います。

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履歴書
出生地
秋田県
出身高校
秋田高校
出身大学
秋田大学

卒業後の職歴

1984年
秋田大学医学部医学科卒業(9期生)
1984年
秋田大学医学部附属病院第一外科(小児外科グループ)
1985年
兵庫県立こども病院外科
1986年
秋田大学医学部附属病院第一外科(小児外科グループ)
1986年
厚生連北秋中央病院外科
1987年
秋田大学医学部附属病院第一外科(小児外科グループ)
1990年
秋田大学大学院医学研究科
1990年
秋田大学医学部附属病院第一外科(小児外科グループ)
1993年
明和会中通病院小児外科
1994年
秋田大学医学部附属病院第一外科(小児外科グループ)
1995年
青森県立中央病院外科
1997年
明和会大曲中通病院小児科・小児外科
2004年
厚生連秋田組合総合病院小児外科(2014年秋田厚生医療センターに改称)
現在に至る

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