エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.24H26.7掲載日

市立秋田総合病院
乳腺・内分泌外科 科長

片寄 喜久
先生

治療一つ、言葉一つ、薬一つで
患者さんの人生は変わりうるものです。
若い君たちは無限の可能性を秘めています、
時間を無駄にする事なく、
目標に向かって努力してほしいですね。



片寄 喜久 先生

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医師を目指したきっかけを教えてください

今振り返ると、小学校の卒業文集には歯科医と書いていました。医師を目指そうと思ったのは、皆さんにはとても胸を張って言えませんが、両親のすすめでした。実家は農家で両親は苦労して兄弟3人を育て上げてくれました。父はよく「農業では将来飯は食えない、とにかく勉強しろ」と言っていました。先見の明があったと思います。医師となり24年経過しましたが、両親の言うことはまさに本当であり、両親には心から感謝しております。秋田にいて親孝行できないのが、悩みの種ですが。

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診療科を専門に選んだきっかけを教えてください

医師を目指した頃から外科医になることしか考えていませんでした。脳外科、産婦人科、整形外科などいろいろ考えましたが、結果的には第二外科を選択しました。医局・教授・そして医局員の雰囲気がとても良かった事を今でも覚えております。今でも外科医になったことを後悔することは全くありません。手術は大好きですし、外科の雰囲気が自分に合っているのだと思います。診療科に関しては、元々は阿保教授の第二外科 食道外科で研鑽し、学位も食道関連で取得しました。学位は細胞内シグナルトランスダクション関連でしたので、第二外科の現教授でいらっしゃる南谷先生の勧めもあり、アメリカはPennState Hershey Medical Centerに留学しました。アメリカでの生活はその後の人生にとって貴重な経験でした。

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留学について詳しく教えてください

約2年半実験三昧の生活で、データがでないときは苦労しましたが、実験生活は楽しかったです。メスを持つことはありませんでしたが、それを寂しいと思ったことは全くありませんでした。ほんと今でも不思議です。家族といる時間が格段に増え、たくさんの外国人の考えを学べましたし、日本にいては体験できない貴重な経験が出来たことも含めて、それだけ留学生活が充実していたのだと思います。望外にも長男がアメリカで誕生しました。早期破水し、24週から32週まで妻は入院生活しておりました。長女との二人きりの生活はしんどかったですが、長男誕生でその苦労も吹き飛びました。ただ、2056gで誕生し、新生児黄疸、母乳も飲めず、点滴・保育器の23日間NICU入院は長く感じました。しかし長男は絶対元気になり退院出来る事を疑った事は一度もありませんでした。長男は今ではその頃の面影もなく大きく元気になり、バンド三昧の生活です。アメリカには大変恩義を感じ、足を向けて眠れませんね。いつか長男が誕生しお世話になったHershey Medical Centerを訪れるのが、今の家族の夢ですね。

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先生のご専門の「乳腺診療」について教えてください

帰国後、当時医局は臓器別診療に方針転換しておりました。その頃の自分はアメリカでの研究生活のためか、腫瘍学Oncologyに興味が非常にわいておりました。乳癌診療はそれにかなう分野で今後患者さんの増加が明らかでしたし、食道外科より楽そう?と思い乳腺診療にいそしむ事になり、現秋田赤十字病院部長の鎌田収一先生のもと、診療・研究を始めた次第です。実際乳腺診療に携わって、自分に合った診療科だと思っています。診断から始まり、手術、術後の化学療法、10年くらい続くホルモン療法、そして残念な事に再発治療、最後は緩和ケアまでその方の人生の多くをともにする事になり、がんの告知の時に始まる医師としての責任に押しつぶされそうになりながら、共に病気と闘うそんな毎日です。でも、患者さんに「先生の顔をみて、診察受けると元気が出る」と言われた時は、こんな顔でも本当に医者やっててよかったな、と今夜もお酒が進んでしまいます。

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学生時代はどのように過ごされましたか

ゴルフが主で勉強がちょっとと言われても反論できないくらいゴルフやっていました。入学したときにちょうどゴルフ部が創設され、初めてのラウンドはクラブ5本を握って、秋田カントリー日本海コースでハーフ43をたたきだし、これに味を占めたせいでゴルフ三昧の生活でした。それと同級生の鈴木君という巨大なライバルがいてくれおかげで、ゴルフにのめり込む事が来たのでしょう。入学当初、鈴木君には全く歯が立ちませんでしたが、5年生になり東医体で、個人準優勝したとき「やっと追いついたな」と思いました。いつの時でもそうでしょうが、良い意味でのライバルは必要ですね。彼がいなかったらこれほどゴルフにのめり込むことはなかったと思います。医療でも同じです。あこがれの先輩の後ろ姿を見ながら、日々研鑽し追いつき追い越せ,の気持ちが大切ですね。また多くの先輩はこう思っているものです。「青は藍より出でて藍より青し」。後輩がすばらしい活躍をすることが、先輩への何よりの恩返しではないでしょうか。

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先生が思う「秋田の魅力」は何ですか

もともと福島出身であり、いずれは地元で地域医療をしようと、考えておりました。卒業の際も地元の磐城共立病院での研修を考えておりましたが、なぜか第二外科に入局しました。それからずっと秋田で診療しております。今までのことを振り返ると、秋田の良いところは「仕事がしやすい」、これに尽きるでしょうか。医師・看護師・薬剤師などメディカルスタッフは、診療に協力的ですし、患者さんもいい人が多いです。食べ物もうまいですし、美人も多い、そういう生活全般を考えた時、今振り返ると秋田ってほんと住みやすくて良い土地だなって、思いますね。田舎で不便だ、雪も多く気持ちもふさぐ、遊ぶところが少ない、でもそんなことは結局関係ないんだと思います。今の若い方は利便性を強く求めますが、それは若いときだけです。いずれは秋田の魅力も分かってくれると思いますが、秋田は良いところなんだ、ともっともっと宣伝する必要がありますね。自分も頑張って秋田を宣伝します。

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今力を入れてやっていることは何ですか

今後のライフワークの一つとして取り組んでいるのが、乳腺診療に携わる人材育成です。僕らが若い頃はとにかく「働け、そんなんではだめだ」と叱咤激励されながら仕事をしてきました。これを当時は「えた・ひにん」の生活と呼んでいて、よく同僚・後輩と飲んではストレスをドレナージしていました。今は時代が変わっています。人間誰でもそうですが、褒められてうれしくない方はいません。ならば、褒めて仕事が出来るようになった方が、お互い気持ちいいじゃないですか。時には叱ることもありますが、そんな時こそ、次の機会はおもいっきり褒めることにしています。

大学時代の伊藤亜樹先生、今市立秋田で一緒に働いている高橋絵梨子先生は、ほんとよく応えてくれすばらしい医師へと成長しております。今は二人とも教えて育つ時期を卒業し、自分でよく考えて診療する時期に来ていて、伊藤先生は大学のトップとして実績も残しておりますし、高橋先生は実に上手に手術をこなし、患者さんの評判も上々で、本当にうれしく思っております。今後も第二第三の伊藤・高橋両先生のようなすばらしい医師の育成に頑張っていきたいと思っております。さらにこの期待に応えてくれそうな人材もたくさんおり、秋田の乳腺診療、実は個人的にはあまり心配しておりません。後は僕ら先輩がいかに優秀な人材をメディカルスタッフと共にうまく育成していくかにかかっていると思います。このような事をいっている自分を顧みたとき、一番教育されているのは何を隠そう自分自身ではないか、と気がつく自分がおります。若い方のキャリアを築き上げる事は、とりもなおさず自分も共に育つことなんだと、今は自覚し更に気持ちを引き締めております。

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人生の転機を教えてください

「人生いろいろ、おとこもいろいろ」と歌われた方がおりましたが、自分の人生振り返るとまさにその通りでした(おとこはおりませんよ)。卒後入局先の決定(電話一本で決まりました)、初期研修病院の決定(あみだくじでした、そしてすばらしい生涯の伴侶に巡り会いました)、アメリカへの留学(人生観が広がりました)、腫瘍センターへの配属(人生戦う事を覚えました)、緩和ケアセンター長(自分の診療スタイルが180度転換しました)への就任、そして東日本大震災(明日の事など誰も分からない、人生のはかなさを感じました)、市立秋田総合病院への就職。いろいろ人生の転機はありましたが、すべて今の自分に必要な出来事だったのだと思っています。家族を始め、同僚、友人など人の思いやり,サポート、ささえは非常に感謝しております。それとともに医師の仕事は、他人の人生に深く関わる仕事だとつくづく感じています。治療一つ、言葉一つ、薬一つで患者さんの人生は変わりうるものです。社会的公器である医療職、責任は人一倍重いとともに、やりがいのある仕事です。若い君たちは無限の可能性を秘めています、時間を無駄にする事なく、目標に向かって努力してほしいですね。そのための努力は何ら苦にはならないはずです。

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最後に若手医師へのメッセージをお願いします

これから日本、特に秋田は人口が減ってきます。一人の医師が生涯診られる患者さんには限りがありますが、君たちを必要とする患者さんはたくさんおります。「患者はすべて我が師なり」癌研名誉院長 伝説の外科医 梶谷 環先生の言葉です。実に含蓄のある言葉ですね、自分も一生涯患者さんとともに歩んでいきたいです。一期一会の気持ちで一緒にここ秋田の地で診療しましょう。

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履歴書
1964年
福島県いわき市で生まれる
1983年
福島県立磐城高等学校卒業
1990年
秋田大学医学部卒業
1990年
由利組合総合病院 外科 研修医
1992年
秋田大学医学部 第二外科 医員
1992年
南東北病院 外科
1993年
秋田大学医学部 第二外科 医員
1994年
角館総合病院 外科
1994年
秋田大学医学部 第二外科 医員・助手
1996年
ペンシルヴァニア州立大学 留学
1999年
上尾甦生病院 外科
2000年
秋田大学医学部 第二外科 助手
2006年
腫瘍センター 講師
2009年
緩和ケアセンター長 准教授
2011年
市立秋田総合病院 外科
2011年
市立秋田総合病院 乳腺・内分泌外科 科長
現在に至る

専門は乳癌診療一般、特に再建も含めた手術・化学療法など。甲状腺診療一般、緩和ケア特にスピリチュアルペインに今はまっております。

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