エキスパートドクター

あきたの医療の担っている様々な分野のエキスパートドクターをご紹介します。
第一線で活躍されている先生方にお話を伺いました!

No.30H28.09掲載日

秋田大学大学院医学系研究科
循環器内科学・呼吸器内科学講座
講師

佐野 正明
先生

今後いくつかの難問に遭遇すると思いますが、
調べたり、聞いたりして、
難問を解決していく経験が、
将来の自分に役立ってくるはずです。



佐野 正明 先生

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学生時代のことを教えてください

1984年入学の15期生です。学生時代で思い出深いのはクラブ活動のバスケットボールです。とてもすばらしい先輩、後輩に恵まれ、北医体優勝、東医体3位を経験し、全医体でバスケットボールの聖地、代々木第二体育館でもプレーできました。
私が5年で主将のとき、秋田大で北医体を主管し、優勝することができたときの喜びは格別でした。週3日の19時から21時までの練習です。とてもハードな練習でした。疲れてはいるのですが、そこは若かったのですね。22時前には手形村さ来(現在の手形ファミマの付近)に集合し、乾杯です。とても楽しい、よき先輩、よき後輩、との付き合いでした。学生時代にはわかりませんでしたが、この人間関係が、現在、医師として仕事をしていく上で大きな支えになっています。息子がバスケットをはじめてから、バスケット熱が再燃しています。学生時代の試験対策は過去問中心の勉強でした。同級生が作ってくれる対策集ができてからの準備スタートで、一夜漬けに近い状態が多かったのですが、その都度まとめておく積み重ねが大事だったのだと思います。

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診療科を決めたきっかけを教えてください

診療科の決定にはすごく悩みました。臨床実習等にて各科を学ぶごとに、各科に興味がわきました。当時はストレート入局ですので、国家試験合格後は即入局です。入局したらその分野を一生懸命やろうと思っておりましたので、自分の興味のある科に入局しようと考えていました。卒業試験が始まるころには同級生の多くが進路を決定していました。各科におられるバスケット部の先輩方に時間をいただき、お話を聞きました。考えているうちに、腫瘍、感染症、免疫・アレルギー、血液疾患、膠原病などが関与し、病態が全身的に及ぶ呼吸器内科に興味をもつようになり、卒業試験中に当時の第二内科(循環器・呼吸器内科)入局を決め、国家試験直後(当時国家試験は4月1週目に施行)に入局の挨拶に伺いました。

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入局後から留学に至った経緯を教えてください


1990年5月より医学部附属病院、第二内科の関連病院で、呼吸器疾患のみならず、循環器疾患も担当し、臨床経験を積んでいきました。初期研修は大学病院で半年行った後、市立秋田総合病院第3内科(呼吸器内科)で行いました。様々な疾患や手技、検査を指導医、他科の先生、看護師さんから学びました。なかでも肺結核の症例を勉強させていただいたことは、私の財産となっています。また他科との垣根が低く、他臓器疾患を他科の先生から学ぶこともできました。風呂でもポケベルを離すことができないような忙しい生活でしたが、尊敬する指導医のもと、非常に充実した研修でした。ここで私の以後の医師としての姿勢の基礎が築かれました。

大学院入学と同時に大学病院での臨床と研究が始まりました。気道過敏性に関する薬理実験的検討です。臨床、学位論文の指導を、ここでもバスケットボール部の先輩である塩谷先生(現医学部保健学科教授)にしていただきました。
1993年には半年間、能代山本医師会病院で循環器内科医として勉強させていただきました。午前は循環器科外来診察、午後は、指導医の先生と週に3例ほどの心臓カテーテル検査を行い、生理検査の技師さんにはUCGを教えていただきました。この半年間が以後の私にどれだけプラスになったかわかりません。 動物を用いたムスカリン受容体、セロトニン受容体を介した気道過敏性に関する実験的検討で学位取得後は、循環器内科・呼吸器内科の担当医として、1996年に町立羽後病院に赴任しました。羽後病院では小児の診察も必要であり、多くの脳血管障害も経験しました。半年間ではありますが、非常に貴重な経験となり、現在の診療に生かされています。

その後能代山本医師会病院呼吸器内科に異動し、1998年より大学病院勤務しております。外来・病棟診療、学生指導などの忙しい日々でした。医局の先輩や仲間が留学しておりましたので、漠然と留学のことは考えていましたが、具体的な計画はありませんでした。2002年5月三浦前教授より留学の話をいただき、幸いなことに2003年1月より約2年、シカゴ大学にポスドクとして留学いたしました。ここでも、バスケットボール部の先輩である塩谷先生にご紹介いただきました。

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アメリカ留学中の研究と生活の様子を教えてください

留学先のLeffラボはボスのLeff教授を含めて8人でしたので、非常にアットホームなラボでした。そのうちポスドクは私を含め3人で、他の2人はフィリピン人と中国人でした。
私の研究テ-マは「好酸球接着における細胞内シグナル伝達」についてでした。毎週月曜日には研究meetingがあり、実験結果をラボ全員で討論しましたが、Leff教授のアドバイスは鋭く、的確で示唆に富むものでした。

生活においては、2001年9月11日のアメリカ合衆国内で同時多発テロ以降、アメリカ国外からの研究者に対しても審査が厳しくなったためか、Sosial Security Number(SSN)の発行が遅れたため、運転免許(アメリカではこれが身分証明)がとれない、車が買えないなど、生活のセットアップに大きな支障がありましたが、SSN発行後はスムースでした。研究が中心の留学生活でしたが、同じ時期にお互いに子供が生まれた同じアパートの友人家族と行った、イエローストーンへのモーターホームでの旅行は、アメリカの大自然を満喫でき、一生の思い出になりました。帰国した現在でも、家族ぐるみの交流を持っています。

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最後に学生、研修医へメッセージをお願いします

学生の皆さんは、まず現在ある課題(試験や実習、レポート)にきちんと対応しておくことが大事と思います。臨床実習で様々経験し、レポートを作成することで、担当した症例のポイントが理解でき、教科書には記載されていないことも学べます。また、医学の勉強以外の経験もとても重要です。クラブ活動等やバイト、語学を勉強する等、なんでもいいです。これらは人間形成、人間関係を築いていくためにとても重要です。医師の世界はこれから待っている社会の中では、小さな社会であると思います。医師という職業に就く前に、社会の中の自分をよく理解し、自分を成長させることはとても大事ですし、この人間関係がこれからの財産になると思います。

研修医の皆さんは、研修期間の初めの2年間が、その後の医師としての態度や資質を決定づける大事な時期だと思います。この期間は、スポンジのごとくたくさんのことを吸収できます。医師はある程度までは疾患経験、手技の経験が必要ですので、症例、手技、学会発表、論文作成等あらゆるチャンスを自分のものとして、貪欲にチェレンジ、吸収してほしいと思います。今後いくつかの難問に遭遇すると思いますが、調べたり、聞いたりして、難問を解決していく経験が、将来の自分に役立ってくるはずです。

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履歴書

学歴

1983年3月
秋田県立秋田高等学校卒業
1990年3月
秋田大学医学部卒業
1996年3月
秋田大学大学院医学研究科卒業

職歴・研究歴

1990年5月
秋田大学医学部附属病院・研修医(第二内科)
1991年1月
市立秋田総合病院第三内科・研修医
1992年4月
秋田大学大学院医学研究科 大学院生
1996年4月
町立羽後病院第三内科・医長
1996年10月
能代山本医師会病院呼吸器科・医長
1998年1月
秋田大学医学部附属病院・医員(第二内科)
2000年4月
秋田大学医学部・助手(内科学第二講座)
2002年7月
秋田大学医学部附属病院・助手(第二内科)
2003年1月
シカゴ大学医学部呼吸器内科(ポスドク)
2004年11月
秋田大学医学部附属病院・助手(第二内科)
2007年4月
秋田大学医学部附属病院・助教(医学部講師、第二内科)
2007年10月
秋田大学講師医学部内科学講座(循環器内科・呼吸器内科学野)
2009年4月
秋田大学講師大学院医学系研究科(循環器内科学・呼吸器内科学講座)
2009年9月
秋田大学医学部附属病院呼吸器内科医長兼務

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